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行政区画

定次郎の著書「朝鮮鉱床論」と参考文献の情報を読み解くために、必要な情報のうち、ここでは行政区画について記します。読みかたは後述の行政区画便覧 各版のフリガナなどに基づき、以下、括弧書きで示します。


1.  朝鮮十三道と その下位区分

- 府/郡/島 - 区/邑/面 - 町/洞/里

「道」(どう)は最上位の区分です。大韓帝国時代に国が 13 道に区分され、その後 日本の統治下となる 明治 43 年 (1910) 以降もその数は継承されました。

各道の中は「府(ふ)」か「郡(ぐん)」か「島(とう)」に分けていました(「島」は 大正 4 年 (1915) 以降)。それらの下に「邑(ゆう)」か「面(めん)」があり、一部の府の中には「区(く)」がありました(「邑」は昭和 6 年 (1931) 以降)。更に それらの下に「町(ちょう)」「洞(どう)」「里(り)」がありました。これらを確かめるには、行政区画便覧 各版などが役立ちます。下表の下にリンクがあります。

同じ階層の中でも、「府」は「郡」「島」より格上、「邑」は「面」より格上でした。この格差については、下記「概要」の「府行政の状況」「邑面行政の状況」には説明が、「例規」には関連する法文がそれぞれあります。


2.  行政区画と経時変化

この表は、複数資料(注: 誤りあり。後述。)から TK が集成したもので、大正 2 年 (1913) から 昭和 18 年 (1943) までの行政区画の数の推移を示しています。検証せずに この表の転載や二次利用をすることは お勧めしません。 「府」の下の「区」は省略しました。

資 料 区 画 咸 鏡 北 道 咸 鏡 南 道 江 原 道 平 安 北 道 平 安 南 道 黄 海 道 慶 尚 南 道 慶 尚 北 道 全 羅 南 道 全 羅 北 道 忠 清 南 道 忠 清 北 道 京 畿 道
T2 1 1 1 2 2 1 1 1 2 12
10 13 25 20 17 19 27 40 28 27 37 18 36 317
T7 1 1 2 2 1 1 1 2 11
11 16 21 19 14 17 19 23 22 14 14 10 20 220
S4 1 1 1 2 2 1 1 1 2 12
11 16 21 19 14 17 19 22 21 14 14 10 20 218
1 1 2
81 141 177 193 147 221 252 272 268 188 175 110 249 2474
* 710 2940 1971 1481 1938 2068 2584 3228 3088 1778 2250 1517 2730 28283
S14 2 2 1 2 1 2 1 2 2 1 3 19
11 16 21 19 14 17 19 22 21 14 14 10 20 218
1 1 2
5 4 7 4 1 8 14 8 8 4 6 2 4 75
72 127 168 174 141 204 229 246 244 172 169 104 235 2285
S15 3 1 2 2 1 3 1 2 1 2 2 20
11 16 21 19 14 17 19 22 21 14 14 10 20 218
1 1 2
4 5 7 5 2 9 13 8 8 4 6 2 4 77
72 125 167 173 138 203 230 245 244 172 168 104 230 2271
S16 2 2 1 2 1 3 1 2 2 1 3 20
11 16 21 19 14 17 19 22 21 14 14 10 20 218
1 1 2
7 7 8 7 2 9 12 10 10 6 7 4 4 93
69 123 167 164 138 203 230 241 242 169 165 102 228 2241
S18 3 2 1 2 1 3 1 2 2 1 3 21
11 16 21 19 14 17 19 22 21 14 14 10 20 218
1 1 2
7 11 13 9 5 11 13 11 13 7 11 4 8 123
68 119 161 161 134 199 226 240 239 168 161 102 223 2201
* 794 2966 1988 1488 1937 2075 2619 3264 3102 1827 2282 1503 2764 28609

 

(上記リンクの一部は「関連する地図」ページの検索機能の説明にある情報と重複します。)

資料の誤りについて

なお、上表を追検証する場合、資料に誤りが少なくとも 2 点あることに注意が必要です。一つは、昭和 14 年 (1939) 版の p.11 にある当該情報の中で、全羅北道の「島」の欄です。数字の「一」に見えますが誤植です。0 を表わす縦棒の活字が 90 度回転してしまったものです。横の計「二」は正しいです。もう一つは、 大正 7 年 (1918) の名鑑の p.509、全羅北道は「一府十四郡」であるべきなのに、同ページにある「群山府」の分が数え忘れられて「十四郡」とだけ書かれています(昭和版のような表は無いので、各道の冒頭のカッコ内を読む必要があります)。


3.  行政区画の資料を使った調査手順の例

定次郎の「朝鮮鉱床論」(以下、原著)には、誤記、誤植(活字の選択誤りや回転)が散見されます。複数資料と見比べることで それが判ります。

例えば、原著「第二編 金属鉱床」「第 1 章 金銀鉱床」の中の「43. 天王金山」には「平安南道价川郡中西面。他二面に跨る...」と書かれていますが、その章の参考文献行政区画鉱区一覧地形図などから、この「。他二面」は誤りで、「平安南道价川郡中西面、外西面の計二面」が正しいことが判ります。つまり この金山は、「中西面」と「外西面」にまたがっているのです。誤りの原因は恐らく、活版印刷の過程で「外」を「ほか」と読んでしまい、読みが同じ「他」という活字を拾ってしまったことだと想像できます。

ただし、行政区画は変化するので、少ない資料だけで判断するのは不充分です。「外西面」が「外二面」や「他二面」という名に変わった事実が無いかどうかを時系列に沿って確認する必要があります。

例えば、昭和 2 年 (1927) の官報には「外西面」が現れますが、昭和 4 年 (1929) の地方行政区域名称一覧(リンク先は上記)では价川郡に外西面は無いので、外西面は少なくとも一度消滅した可能性があります。しかし、「外西面」が存在しないことを知った上で意図的に植字したのかどうかまでは判別できません。いずれにしても、いくつかの資料の各版から、この「他二面」については定次郎の原著が誤りと言えそうです。(なお、手書き原稿が残っていないので、原稿の誤りか誤植かは不明です。)