1. 鉄道関連の資料から得られる情報
鉄道局年報は地形図よりも頻繁に発行され、鉄道の変遷(事業者、路線名、駅名、経路、工事区間などの経時変化)を追うことができます。路線図や工事工程図には、国鉄と私鉄、広軌と狭軌、既成と工事中と未着手などが記されています。他にも、駅周辺の地勢や観光情報を記した資料などがあります。朝鮮総督府官報では新線の営業開始時に駅名や所在地がふりがな付きで告示される場合があります。
注1: このページでは旧漢字(「鐵」など)を現代漢字(「鉄」など)に置き換えてあります。長さの単位「哩」はマイル(約 1.6 km)です。昭和 34 年 (1959) に締結される「国際マイル」ではありません。度量衡に用いる漢字については下記「日用便覧」などに一覧があります。
注2: 「pdf」の行はファイルを直接開きます。それらの書誌情報は大分大学の蔵書検索で検索すると見つかります。それ以外は「国立国会図書館デジタルコレクション」へリンクしています。
注3: 下表で、営業線路條数図表 と 営業線路線数別延長図表 は同義のようです。
2. 鉄道局 年報
種別 | 書誌 | 全域路線図 | 各図 | 備考 |
---|---|---|---|---|
朝鮮総督府鉄道局 大正 14 年 (1925) 度 年報 | ✔ | ✔ | p.320 の後ろに工事工程図 2 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 大正 15 年 (1926) 度 年報 | ✔ | ✔ | p.152 の後ろに営業線路條数図表 1 枚(表は p.153)。p.382 の後ろに工事工程図 3 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 2 年 (1927) 度 年報 | ✔ | ✔ | 巻頭に工事工程図 4 枚と営業線路條数図表 1 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 3 年 (1928) 度 年報 | ✔ | ✔ | 巻頭に工事工程図 5 枚と営業線路條数図表 1 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 4 年 (1929) 度 年報 | ✔ | ✔ | 巻頭に工事工程図 6 枚と営業線路條数図表 1 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 6 年 (1931) 度 年報 第 1 編 | ✔ | ✔ | p.120 の後ろに工事工程図 6 枚と営業線路線数別延長図表 1 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 7 年 (1932) 度 年報 第 1 編 | ✔ | ✔ | p.101 の後ろに工事工程図 6 枚と営業線路線数別延長図表 1 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 8 年 (1933) 度 年報 | ✔ | ✔ | p.94 の後ろに工事工程図 6 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 9 年 (1934) 度 年報 | ✔ | ✔ | p.104 の後ろに工事工程図 6 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 10 年 (1935) 度 年報 第 1 編 | ✔ | ✔ | 第 1 編の末尾に工事工程図 6 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 10 年 (1935) 度 年報 第 2~3 編 | - | - | ||
朝鮮総督府鉄道局 昭和 10 年 (1935) 度 年報 第 4 編 | - | - | ||
朝鮮総督府鉄道局 昭和 10 年 (1935) 度 年報 第 5 編 | - | - | ||
朝鮮総督府鉄道局 昭和 11 年 (1936) 度 年報 | ✔ | ✔ | 巻頭に工事工程図 4 枚。 | |
朝鮮総督府鉄道局 昭和 12 年 (1937) 度 年報 第 4 編 | - | - |
3. 鉄道に関連する その他の資料
種別 | 書誌 | 全域路線図 | 各図 | 備考 |
---|---|---|---|---|
朝鮮の鉄道, 昭和 2 年 (1927) , 朝鮮総督府鉄道局 | - | - | 創設期の概観、他国との敷設権争い、国営化、委託経営、財政緊縮による操業延期など。 | |
朝鮮鉄道駅勢一斑 上巻, 大正 3 年 (1914) , 朝鮮総督府鉄道局 | (✔) | - | 冒頭の路線図は かなり粗い。主要駅ごとの人口、地勢、産業、経済、金融など。 | |
朝鮮鉄道駅勢一斑 下巻 大正 3 年 (1914) , 朝鮮総督府鉄道局 | - | - | (同上) | |
朝鮮地誌資料 大正 7 年 (1918) 11 月, 朝鮮総督府臨時土地調査局 | (✔) | - | 巻末の「山系及河系」図に鉄道が描かれているが駅名なし。第 19 表 16 と 17 に鉄道断面図があり、標高が判る。 | |
朝鮮旅行案内記 昭和 9 年 (1934) , 朝鮮総督府鉄道局 | - | (✔) | 各道の地図があるが、かなり粗い。路線と駅ごとの観光情報など。 | |
朝鮮旅行案内, 昭和 13 年 (1938) , 朝鮮総督府鉄道局 | (✔) | - | パンフレット。末尾の「朝鮮交通略図」に鉄道が記されているが、画像が粗く ほぼ判別不能。本文中の地名に読みがなあり。 | |
朝鮮の都邑, 昭和 5 年 (1930) , 朝鮮総督府 | - | (✔) | 主要都市のインフラ、産業、経済、公共機関など。主な都市の地図があるが、やや粗い。 | |
日用便覧 明治 44 年 (1911) (第 3 次), 朝鮮総督府観測所 | - | - | p.116 に「朝鮮鉄道哩程表」。 | |
日用便覧 大正 2 年 (1913) (第 5 次), 朝鮮総督府観測所 | - | - | p.139 に「朝鮮満州鉄道哩程表」。 | |
日用便覧 大正 4 年 (1915) (第 7 次), 朝鮮総督府観測所 | - | - | p.133 に「朝鮮満州鉄道哩程表」。 | |
4. 鉄道資料を使った調査手順の例
定次郎の「朝鮮鉱床論」(以下 原著)と関連して、「第二編 金属鉱床」「第 1 章 金銀鉱床」の中の「43. 天王金山」と国鉄「満浦線」の位置関係を調べるとします。
「行政区画」のページに示した通り 原著に誤りがあり、正しくは平安南道 价川郡(かいせんぐん)の 「中西面」と「外西面」、計 2 面にまたがります。「价川」は 1 / 200,000 地形図の区画名にもなっているので、半島北西の、平安北道との道界付近だという見当がつきます。
「朝鮮稼行鉱山分布図」(以下 分布図)で その道界付近を探すと、北緯 39~40°の間、「平安北部炭田」という黒っぽい領域の左にいくつかの緑色の丸(黒鉛の鉱山)とオレンジ色の丸(鉄鉱山)があり、その左に「天王」という黄色い丸(金銀の鉱山)が見えます。これが「天王金山」です。すぐ北には東西に通る私鉄が描かれていて、これが「鉄道局年報」に書かれた私鉄「价川鉄道」に見えます。西の「新安州」から東の「軍隅里」を経て南下し、「栗隅」の少し南で价川鉄山の辺りで終端しているように見えます。このうち「新安州」-「軍隅里」間の路線は、大正期の地形図や鉄道局年報 昭和 6 年 (1931) 度と一致するようです。
一方、この「分布図」では、「平安北部炭田」の西端に沿って南北に通る国鉄が見えます。南にある「順川郡」の「順川」から北は、「北倉里」「無尽台」(地図では旧字の「無盡臺」)を通り、「价川」の街へ通じるように描かれ、更に私鉄と合流せず道界の「清川江」にも近づかずに、「飛虎山」付近を北上して「球場洞」へ通じているように描かれています。しかし、これは「分布図」の基になっている地図の誤りに見えます。
「鉄道局年報 昭和 6 年 (1931) 度の「満浦線」工程図では、既存の「泉洞」駅を通っているほか、「順川」「价川」間の途中駅「中坪」「閣岩」「葛峴」が、「北倉里」より西に描かれています。また、その後の「鉄道局年報」や「朝鮮旅行案内記」は、「价川」の街でなく「軍隅里」にあった既存の价川駅から北の「球場」までは「満浦線」が「清川江」沿いの「院里」(北院)「鳳泉」「自作」を経由していることを示していて、これらが正しいように見えます。
この昭和版の地形図「安州 3 号 平院里」は、私鉄「价川鉄道」の少し南の地域を示しています。この図幅と上隣の図幅には、国鉄満浦線「順川」駅の少し北の「閣岩」(かくがん)駅から、さらに北の「球場」までの区間が描かれていて、鉄道局年報とよく一致します。「平院里」図幅の下端中央 少し左から川沿いに北上する鉄道を辿ると、最初の駅が「閣岩」、その次の駅は図幅中央付近の「龍源」(りゅうげん)です。「葛峴」という峠が この駅の東北東 約 2.3 km 付近に見えます。鉄道局年報を辿ると、この「葛峴」が当初予定していた駅名で、後から「龍源」という駅名に変更されたことになります。「天王洞金鉱」が この「平院里」図幅の上端中央から 3 km あまり西に見えます。これが原著の「天王金山」です。原典と見られる文献では私鉄の「雲興」駅(上隣の図幅下端)からの山道で不便、という旨が記されています。
このように、資料によっては誤りを含むものもあるので、単一の資料の情報を鵜呑みにせず、可能な限り多くの資料を見比べて真偽を確認すべきです。
見たところ、満浦線が開通後は、「龍源」駅から平野を突っ切って「天王金山」にアクセスしたほうが、距離は増すものの高低差が少ないように思えます。ただし、現代の空中写真を見ると、「天王金山」の 2 km ほど西にダムができ、「龍源里」の北側とその西側の平野(図の破線領域)は巨大なダム湖に沈んだように見えるので、その経路は今では高低差が少ないとは言えません。